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2007年10月27日土曜日

ポルコ超絶技量伝説

 あの後精査の結果上がってきている情報ですが、コンベン裏の一件で、県民の数を11万と伝えたのは朝日新聞のみで、他の新聞社は会場の規模からまあ4万程度じゃないのかって言っているそうで、どうやら誇大広告の線は確実みたいです。
「結局朝日は戦前から嘘吐きのプロパガンダ新聞なんだね!」って。

それはさておき、こないだから気になっている事があります。
「紅の豚」に出てくるサボイアS−21戦闘飛行艇、
最近気付いたのですが

…いかにも前方視界悪そうですよねぇ。
重心だの空力だのはこの際どうでもいいでしょう。
実際にこいつのラジコン機を作って飛ばしてる人もいるくらいですから、その問題はあんま無理もせずにクリアーできるのでしょう。

 が、考えてもみて下さい。
この機体、細長い船体のかなり後ろの方に背の低い座席があり、その船体の上、だいたいパイロットの胸か首の高さに「アイーン」をするような形で主翼が水平に横たわっています。
 それだけならばまだしも、パイロットの頭上には巨大なエンジンポッドが鎮座ましましてございます。

 そりゃまあ、映画ですからこういった配置にすればコックピットの映るシーンでメカがさりげなく自己主張していかにも人機一体といった絵が作れる事でしょう。
 しかし、こんな機体で例えば宙返りして逃げる敵機の後ろに喰らいつけば、かなり高い確率で敵機はエンジンポッドの陰に隠れ、操縦士からは死角となるに違いありません。

 とにかく見張りが大事とされるこの時代の空の戦いに於いて、こういうのは大きなマイナスです。
とくに旧帝国軍の場合、飛燕や雷電のような
「ちょっとばかし鼻の長い機体」ですら、テストパイロットに
「前方視界劣悪」との駄目出しを貰った話すらあります。
彼等をサボイアに乗せたら、絶対にこれは酷いと。まるで目隠しされたような状態で飛んでるようなもんだと言うに違いありません。

ポルコのおやじはそんな目隠し状態でアドリア海一つおいパイロットになったのです。

 これは…
…座頭市です、紅の豚は実は空を舞台にした座頭市だったのです。

2007年10月20日土曜日

コンベン裏のおもひで 追伸

 エアバス社の「ダブルデッカー・ジャンボ」ことA380が遂に
就航するようですね。
今回納入されたバージョンは客席数を最大値の半分程度に抑えて、
「ウルトラスイート」なる従来の旅客機では考えられないほど豪華な設備を実現しているらしい。
戦間期の旅客飛行艇なんかがちょうどこんな方向性を目指していたらしいですが、こういう飛行機に乗ってハワイやオーストラリアに遊びに行ける身分になってみたいもんです。

さて、もうご存知の方もおられると思いますが、今回のコンベン裏集会に関してこんなニュースが出てきています。

 コンベン裏に11万人集まって抗議したぞとやったら、
作る会は、
「強制が有ったとは言えないのは歴史的事実。
大体実際は11万じゃなくて2万だとも聞いているけどね?」
するとニュースステーションが、
「仮に2万だとして何が悪い?
人数の問題じゃない。県民感情の問題だ!」
それで最終的にねらーが、
「いや、メジャーな情報筋が2万を11万
と報道したのならオオカミ少年もびっくりの
大問題でしょ、ってか、今開き直りましたね?」

 という事になっているわけですが、ま、日本の場合、左右問わずこういった数字には誇張が付きものというのは、みんな知らないけど実は知ってる人は結構知っている話だったりします。

 それにしても、少なく見積もって2万多く見積もって11万って、よくよく真相はどうでもいいんですね。
本来ならマスコミが検証すべき問題なのに。

 というか、本来ならばコンベン裏に11万集まった証拠を提示すべきところなのに、開き直って議論をすり替えるなんて捏造を自認しているのと同じ事じゃあないですか。
仮に「11万集まった証拠」を提示できれば、これは作る会を攻撃できる有力な材料となった筈です。

これはもう、…赤福っすね。赤福だと思いましょう。

2007年10月13日土曜日

コンベン裏のおもひで その参

 四万円のプレステ3が出ましたね、下位互換性無いけど。
あの商品、ハードウェアとしての完成度はまず良い。
「普段使うこと」を考えるなら、「360」なぞよりよほど良い。
ただ、まだソフトの数が出揃ってないし、ソフトの中身もまだまだ。
でも、これで「薄いプレステ2」と「安いプレステ3」を一緒に使うって人はけっこう出てくると思います。
そういや「みんごる」のオープニング、座頭市になってましたね。
まあ、正味の話。家にハイビジョンテレビが無きゃプレステ3を買うメリットなんて「だけゲー」ができるぐらいなもんですが。

 …ああ、そうでした。
今回はコンベン裏で急転直下の約束でしたね。
戦争が平和だった小官の故郷が基地関連で再びやかましくなったのは大田さんが代理署名というのを拒否したあたりからでした。
 折しも米兵による少女暴行事件かあり、
「もうこの人達迷惑だからグアムに帰ってもらいましょう」
という集会が行われたのが今回と同じコンベン裏でした。

 で、大田さんも大風呂敷広げた以上相応の事はやらなきゃならんというわけで、一体何をやったかというと、早い話がアメリカへ直訴しに行った。
それまでは日本政府や防衛施設局とやりあうのが通例だったが、日本ははっきり言ってポチなので「アメリカ様が一番」が前提で結局何も変えられないだろう。
…ならばというわけで渡米し、問題のアメリカ様から日本政府に働きかけてもらおうとしたわけです。

 そしてこの問題は当時実際に国際的に注目を集め、もう少しでアメリカの世論を動かすというところまで行きました。

それが政治・軍事的にどういう事を意味するかは置いといて、
「沖縄から本当に基地を無くすにはどうすれば良いか」という事を、きちんと考えた上で具体的かつしたたかに行動したわけです。

 で、どうなったかというと直後の選挙で落選した。
コンベン裏に8万終結したにもかかわらず、県民の過半は
「基地はあってもいい」という意思を表明したわけです。

そして彼の代わりに当選した稲嶺さんはというと…
歯に衣着せずに言わせて頂ければ、国から貰ったお金を内地から来たゼネコンに配る利権政治家でありました。

そもそも今もめている辺野古ヘリポートにしてからが、彼が選挙公約として掲げた夢想的な計画が始まりですし、実際彼の時代でハコもの関連での汚職とかが目立つようになってきました。
 せめて彼が掲げた「県の失業率を本土並みに引き下る」という選挙公約だけでもきちんと守られていたのなら、小官も故郷を離れずに済んだかも知れないのですがね。

 いなくなった人の事をグダグダ言っても詮無いのですが、だいたい小官、彼が政権を奪ったやり方からして気に喰いません。
こんな事になると知っていれば保存しといたのですが、小官の家にもそもそも沖縄には第三次産業以外ロクな産業基盤が無い事を棚に上げて県経済の低迷を「大田の失政」と断じた上で「稲嶺こそ救世主」とするカラーの政治漫画がメインのパンフが入ってまして、
「莫迦な学生には漫画で十分ってか?」と、それまで稲嶺に対しては
「好きでも嫌いでもない」だったのが一気に「山師は嫌い」になったもんです。

 そもそも死ぬ前に英雄だの救世主だのと言われたり自称したりするような手合いにロクな人間はいやしません。
 そういえば、みんなの大好きな「またよしいえす」が出たのもこの選挙のときでした。

加えて言うならば、この選挙の半年ほど前に「茶柱が云々」という、まあ、「えげつない本」が出まして、タイミング的にも少々推理力を働かせれば、小学生にだってこれがまじめな本の形態をとった政治宣伝である事は見破れて当然の状況だったのですが、後から聞くと結構大勢の人がこれにダマされてたみたい。
 当時小官も結構赤っぽかったのですが、思想的な事とはまた別に
「さすがにこの勝ち方は汚いだろう」との感覚を覚えて学生なりに細々と情報収集活動をやっていたら、「ある雑誌」に
「発行のタイミング的にたまたまプロパガンダとして作用してしまったが、本来は悪を暴く事が目的であり、他意は無い」という趣旨の言明が載っておりまして、
「確定だな、てめえで犯行を認めやがった」と思ったもんです。

ちなみにこの会社、その数年後には稲嶺県政の腐敗を暴くという内容の暴露本を出してましたから、これはあくまでも状況証拠を元にした推論に過ぎないのですが、こいつら「なんでも反対」な自称文化人
じゃないとすれば、選挙の時は色々と工作資金を貰えてたが、政権を取った後は「釣った魚に餌はやらない」とばかりに干された…
というか汚い仕事をさせた奴とは関係を持ちたくないという風にやられたので報復に出たってとこでしょう。

こんな輩に筆で食ってゆく事が許さているのですから、小官の故郷はまったく美しい島です。

 何が何やら話が見え辛くなってしまいましたが、要するに今から考えてみると、県民がこうも無節操な政治的挙動を示すのは、マスコミの言う事をあまりにも無批判に受け入れてしまっているところがあるからじゃないのかと。
コンベン裏に県民が集まるという事は、つまるところそういう事なんじゃないかとも思うわけなんです。

2007年10月6日土曜日

コンベン裏のおもひで その弐

 木曜の参議院代表質問で、社民党の照屋氏がこの問題について沖縄からの立場で質問していました。
それはそれで結構なのですが、小官的にはやはりこういった昔ながらの左翼の見解というのは事実認識にズレがあるように思います。

座間味島での戦闘で軍隊から
「米軍に捕まる前にこれで死になさい」
と手榴弾を渡されたという証言を元に「日本軍が自決を強制した」
という事を言っているのですが、そもそもこの証言にある日本軍の発言が「命令であった」か否かが微妙なところです。
 前回の記事でも指摘している通り、「当時の常識」を基準にして考えれば、それは極限状況下での「住民に対する最後の思いやり」だったと取るのが妥当でありましょう。

 誤解を避けるために言わせて頂くと、以上は勿論「過去の常識」の下で起こった悲劇であり、「現在の常識」では到底許容し得る事ではありません。
 小官が指摘したいのは、問題があったのは主として「過去の常識」であるにも関わらず、その責任を軍隊という「特定の組織」の責任にして片付けてしまうやり方、それを下敷きにした教育の手法はむしろ危険じゃないかということです。

 事実。欧米諸国では、かなり前からネオナチが着実に勢力基盤を築きつつあります。
かつてナチを支持したのは、ドイツの一人一人の民衆であり、むしろナチは彼等の代弁者であったのにも関わらず、戦争が終わると、全ての責任をナチという「特定の組織」のせいにした。
そりゃ当時のドイツ人を皆殺しにするわけにもいきませんから、連合国が「みんなナチにダマされてたんだよ。」という解釈を採用したことは一つの正解であったわけですが、
その結果「誰でもナチにはなり得るのだ」という最も肝心な点が見落とされてしまった。
この問題を無視してネオナチを語るわけにはいかんでしょう。
小官が主として申し上げたいのは、
「日本も同じどつぼにハマるつもりですか?」ということです。

 なんやかんやで前置きが長くなりましたが、本題に入りましょう。
小官がコンベン裏について覚えている最も古い記憶は潮干狩りです。
当時の沖縄は戦争が実に平和だった…。
こんな言い方をすると「日本語が大変デース!!」とか言われそうですが、有り体に言ってそれが最も妥当な表現なのだから仕方がない。
 西銘さんあたりの時代ですかね、当時既に米軍機が飛ぶのは日常の一部と化していて、たしかにそこかしこから戦争のきな臭いニオイはしてきたもんですが、米軍機も子供心にはでかいカラスが飛んでるようなもんでありました。

 ただし、子供のことですから、P3Cとハーキュリーズの区別すら付いていませんでした。
恥を恐れずに言えば、当時の小官がF−16と「灰色に塗ったF2」を見せられたら、迷わず「おなじひこうき」と言ったでしょう。
「翼面積とハードポイントの数が違うでしょ?」と言われても
「隊長機は改造されてるんだよ。」と答えた可能性すらあります。
そういえばあの頃はブロンコがけっこう飛んでましたが、90年代に入ったあたりから見かけなくなりました。

 話が逸れましたが、コンベン裏に潮干狩りに行って何を穫るのかと言えば、それは勿論「ちんぼーらー」です。
 こいつは蓋が半球形をした大きめの巻貝で、ガーッと茹でたやつを安全ピンで身をほじくり出して食べるのですが、はらわたの部分が苦くてジャリジャリしててとにかくまづい。
ところが「体に良いんだよ!」と言われて仰山食わされる。
今にして思えば、貝に対して苦手意識が芽生えたのはあの頃だと…

 当時はコンベン裏も今ほど整備されていませんでしたから、基本的に防波堤と砂浜だけでした。
クラゲよけのネットなんてオサレな物も無く、アオサでぬるぬるになったコンクリートの護岸に波が打ち寄せる。
沖縄ですので砂浜はデフォで珊瑚カルシウムのクリーム色でしたが、もっとこう田舎っぽい感じでありました。
そこで潮が引くと、珊瑚のギザギザした浅瀬が現われ、ちんぼーらーの殻をかぶったヤドカリが徘徊しているのです。

小官の親くらいの世代になると、こいつらをとっ捕まえて殻から引っぱり出し、ぷよぷよの腹をもぎり取ってゴカイの代わりに釣り針に付けて魚を釣ったそうですが、小官の世代だと、家に連れ帰って飼っているうちに行方不明となり、半年後に模様替えをするとタンスの裏からひからびた死骸が出てくるといった具合でありました。
小官の妹などは、夜中に目覚めると脱走したヤドカリが枕元を歩いていてびっくりしたそうです。

ちなみに渡嘉敷や座間味では最近、ビーチに観光客が食べ残しを残してゆくので、こいつらが大量発生して夜な夜な甲殻類の波が大地を覆い尽くすのだそうです。

 海辺にてこの可憐な生物と戯れている間に、親達はバケツにたっぷりちんぼーらーを集めていて、帰る前にそいつを見せられ
「イヤだー!帰りたくない!!夕飯食べたくないよう!!!」
となるのが小官の最も古いコンベン裏の記憶であります。

この頃は「基地は勿論イヤだけど共存するしかないね」という風潮が支配的だったように思います。

こんな事を書くと個人特定されそうでなんとなく怖いのですが、小官の家の斜め向かいが丁度「バークレイ」でしたので、時折活動家の方が横断幕持って活動してましたが、それよりもむしろ自分ちの近所に目に見える形でアメリカの領土があるという事実の方に素朴な感動を覚えたものでした。

というわけで予告。
次回、急転直下となります。